規制緩和から

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第二次世界大戦後、経済復興の過程において、理美容業は比較的安定した収入が得られる職種であったため就業者が増加した。そのため業界は1951年ごろから過当競争に陥り、中小事業者は経営が困難となった。業界では保護を求めて国会に陳情を続け、結果1956年に議員立法で環境衛生関係営業の運営の適正化に関する法律の法改生活衛生関係営業の運営の適正化及び振興に関する法律(生衛法)が成立した。以降業界は安定し、バブル崩壊後の物価下落局面に際しても散髪価格はあまり低下しなかった。これは経済学で言う比較優位が反映されたもので製造業などに比べてサービス産業は価格が低下しにくいためである。1990年代に入り顧客ニーズに変化が現れ始めた。ユニセックスなヘアサロンが増加して、理容・美容間の垣根が低くなっていった。大手資本もこの分野に参入するようになった。従来からの店ではいまだに古い規制を惰性で維持しているところも多い。一方で、議員立法による理容師法、美容師法の改正により、1998年4月から、理容師・美容師免許が都道府県知事から厚生労働大臣発行化されるとともに、受験資格の前提となる養成施設の入学資格が原則として高卒とされるなど、資格取得の要件が厳しくなった。それまでは中卒でも国家資格が取れる数少ない業種であった。現在は中卒者のために高卒と同等の資格を取得できるように高等課程を設置している養成施設もある。1999年、テレビ番組シザーズリーグで高度な芸術性とテクニックを持っているように美容師たちが過度の演出で取り上げられ、カリスマ美容師ブームが起きた。これを見て美容師を目指す若者が増え、結果として一部では過当競争や労働条件の悪化を招いた。さらにその影響が全体に波及して、新規の就業志望者数の大幅な減少を引き起こしている。そして現在ではサービスの多様化や新たなニーズに対応するまさに新しい理美容の時代に突入して進化しつつある