僕の後ろ側に立たれた感覚

少しまじめに書いてみました。

長文失礼します!!

リラックスしているときにでも読んでみて下さい。

 

後ろ側にたたれる

感覚を久しぶりに感じる場所があった

(この写真でわかったら、すごいです?)

自分の心を振り返る事ができた

自分の前側にある感覚は大抵、、どこかで見た事があり、、、共感はあるが感動は少し薄い、、

綺麗で美しいものであったとしても、比較した事はないけど、、、、多分 。

ありふれている僕の前側の感覚は、現在は共感が精一杯で後ろ側の奥底の 心 みたいなものを

突き動かしてはくれない、、、、、、、、、、、、

最近は、写真をとったり、サイクリングをしたりしていて、、

確信ができるのは、前側での出来事であり、後ろ側をとられた感覚は今のところない。

これらはすべて趣味の範囲だろうと、心のどこかで思っている。

けれども、この趣味の範囲のわずかな出来事のおかげで、自分の裏側を立たれにくくする事はで

きる。

 

 

 

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無防備であること 表面にないこと 純粋であること

僕が裏側をとられる時は、大抵そんなときだ、、

現代的表現手法で分かりやすく表現したり、目で見てすぐわかる表現など

伝えたい事柄が表面にでてきて、裏側を感じににくさせているもの、残念ながら

現在は本当沢山あるなーってなる。

それらは単なる流行に成り下がってしまうだろうと、、、、、それはそれで別に悪くない

と思うけど、特に面白くはない、、、

そんな簡単に人の裏側をとられていたらと思うと、ゾゾゾってなっちゃいます。

背負い投げをくらってしまいますよ。

 

トゥリャーーーーーーーーッ!ってね。

 

 

自分なりに考え思想をもつようになり、伝えたり、宣伝したり、共感したり

そんな事は本当はどうでもよくて、本当は

どちらが後ろ側に立つか? そんな些細な子供じみた意地の張り合いが

職人として、デザイナーとして自分のこの感覚を鋭くしてくれているみたい。

あなたも、過去に後ろ側に立たれた感覚を覚えているだろうか??

多分だれでも経験があるはず、(後ろに立たれるとってもとっても嬉しくなる)

である。楽しい気持ちで、幸せになれる。僕はこれが、真実だと思う。

 

 

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人間の感覚は純粋で素直だ

後ろに立たれた感覚を、だれしも素直にみとめざるおえないだろう、、うまくできている

自分にうそをつかないとは、こうゆう事をゆうのだろうな、、

感覚にはそうゆう力がある。

曖昧な表現で書いているので、分かりにくいかもしれないけれど。

自分は後ろ側は、自分でしか守れない

 

 

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僕の後ろ側に、立ってくれてた人が沢山いる。

僕も背後をとられない様に、誰かの後ろ側に立てる日がくるのでしょうか?

お客様で大好きな人が、インドに旅立つ

僕に写真の後ろ側を教えてくれた人

ぼくにとって大事な事は、お互いが後ろ側に立たれないように意識できる人だと

少し理解しはじめている